それぞれの
生きてることを感謝しなきゃいけない。
と、よく思う。
嫌なことをして嫌なことばかり考えて生きていたらただ悲しいだけだ。
生きることって自分のためだけじゃなくて、誰かのためにも生きることになるのだ。
わたしはひとりで生きることなどできない。
育ててくれる人がいて、お金を稼いでご飯を食べさせてくれる人がいて、食料が簡単に手に入る環境がある。それが当たり前のようで、感謝さえも忘れてしまうほどだ。
でも、この地球のどこかには、それが当たり前じゃない地域もたくさんある。
そもそも、人間に食べられるために生まれて育てられたもののことを考えると、いたたまれなくなる。
だからこそ私ができることは何か考えてみた。
そうしたら、
いつもいつも、感謝して生きるべきだというところにたどり着いた。
そのために、心も体も健康にしてあらゆるものに優しくなる。
我慢せず、自分を知り他人をもっと理解して、理解できないことはそのことを理解する。
みんなが幸せになれたらいいのに。
わたしは自分の世界を淡々と生きている人が好きだ。
なぜならとても幸せそうに見えるし、なによりかっこいいから。
心から笑える人の笑顔とか、その人にしか作れない素敵な表情を見ると惚れ惚れしてにやにやする。
そして自分の世界がある人はみんな優しい。
依存せずに人を愛せる。
望んでいることって人それぞれだけど、実は生きているだけで幸せなんじゃないかと思う。
辛いことをあげたらキリがないけど、長い時間が経つと意外とそうでもなかったなと思えてくる。
自分に余裕がないと、誰でも荒んでしまうのは当然だ。
幸い、今は健康があればバイトもできるし食料も簡単に手に入るから、生きていくことはできる。
心身ともに健康的でいるのってとても難しいようで簡単なことでもある。
物事を常にどうすれば解決するか、考えれば前向きになれる。
着てる服が暑ければその場で一枚脱げばいい。
走れるように身軽な格好がいいなら手ぶらになればいい。
今が幸せなら、お金持ちになって大きい家に住まなくたっていい。
私たちの心身的な疲れって
大体が我慢なわけで
その我慢をなるべく減らしていけばそれだけでもかなり変わってくるはず。
みんなが聴く音楽がおしゃれ。
そろそろ結婚しなくちゃいけない。
子供を産まなきゃいけない。
家族を支えなきゃいけない。
人はみんななにかしら、自ら何かで縛り付けてそれが大きな疲労になって少しずつ蝕んでいく。
もっと自由に生きていいのに。
そうすることで生きていることを
感謝できるようになるのに。
私も自身を縛り付けている。感謝しないと犠牲になったものたちに対し、いたたまれないと思っていること。
でもそれは生きる意味であり目指す道しるべのようになっている。
少しでも生きていることを感謝するために、
明るく。