好きということ
好きということ
それはスープをスプーンで掬う。でもそのスプーンがスプーンではなくよく見るとフォークでぜんぜん掬えなくてそのうちにもあつあつのスープはさめていってしまう。
わたしは何回も何回もその見間違いだったんじゃないかと思い掬おうとする。さっきまでスプーンだった、わたしの目はおかしくなってしまったんじゃないかって。不思議なことにそのときの自分はまったくスプーンを疑おうとはしない。
器から熱が感じられなくなった。
そして完全にひえきったスープすらも飲めない。なぜならわたしはわたしには、スプーンを使って飲むことしか知らないからだ。
悲しい気持ちになり、目が涙でいっぱいになった時、あなたが来る。とてもベストなタイミングでわたしの座る椅子に手を掛けて面白そうなものを見るように見下ろしている。なにも話さず、じっと見ている。
それだけでわたしのお腹の底から手の末端まであちこちが太陽を浴びたみたいにゆっくりと暖かくなり、ほっとするのだ。スープなんて飲まなくてもよくなってしまう。
きっとこういうことなんだ、そのときはじめて気づく。
好きということはからだじゅうが暖かくなり、暖かい気持ちになることだろう。
そしてそれはなににも変えられないし、この世で一つだけなんだ。